第一章 Part U


 その宇宙港は寂れていた。昼間でもほとんど太陽の覗かない寒冷の地、惑星シヴェールに降り立つ者はほとんどいない。罅割れたコンクリートと拉げたまま置き去りにされたスクラップ工場のような外観。滑走路は二つあったが、そのどちらも久しく使われていなかったのか砂で表示が見えなくなる程の荒れ方だ。誘導灯の一つは消えて、もう一つはチカチカと必要のない点滅を繰り返している。その宇宙港に1台の小型シャトルが降り立った。そこから降りて来た男は長身の黒髪で、黒いスペースコートを羽織っていた。ヒュンと冷たい風が吹きつける。感情のない冷たい灰色の空から落ちて来る物は雪と氷の入り混じった砂塵……。男は黙ってコートの襟を立てるとトランク一つでターミナルへ向かった。

ここでは、何もかもがセルフサービスである。全ての手続きはコンピュータの自動操作で行われ、ボディチェックも荷物検査も皆アンドロイドによって行われる。男は何重にもチェックを受けて、ようやく滞在するターミナルホテルの部屋に通された。ホテルの部屋と言っても、そこには最低限のベッドに椅子と机、金庫兼クローゼットが一つあるきりのシンプルな部屋だった。彼はまずそこに仕掛けられたカメラと盗聴器を破壊すると、ようやく持って来たトランクの蓋を開けた。袋の中から黄色いくまのぬいぐるみが半分顔を覗かせている。が、男はそれを無言で押し込むとその下に隠された隠しツールから小さな包みを取り出してコートに入れた。それからトランクに鍵をすると、胸ポケットに収まっていた小さな3Dスイッチを取り出す。

「リシェーヌ……」
淡い陽炎のように揺らめいてそこに表れたのは透き通るように美しい少女だった。リシェーヌ ラ マリ。それが彼女の名前だった。
――ルディオ……。わたし、待っていたの。ずっと待っていたのよ
「会いに来たよ。愛しい君……。もうすぐだ。おれは、今、このシヴェールにいる。君のすぐ近くに……。そして、今度こそ君を連れて行くよ。宇宙へ……」
――だめよ。わたしには出来ない。あの子供達を置いて行くなんて……
哀しそうな瞳をする彼女に、男は言った。
「わかっている。いつかこの星を、みんなを幸せにすると約束するよ。ゴットの支配から解放し、子供達の未来を開く。その為にも君の力を貸して欲しい。取り合えず必要な物資は持って来た。だから……」
乱れない筈の映像が歪んで彼女の微笑みが消えた。彼はもう1度スイッチを押したが、映像はうまく結ばなかった。淡い虹色の光が僅かにやさしい雰囲気を残しただけでまた何もかも冷たい灰色の世界に塗り替えられてしまった。彼は諦めて、またそのスイッチをポケットに納めるとトランクを持って部屋を出た。

 そして、彼が最初に訪れたのは診療所だった。が、そこはまるで廃屋のような有り様だった。ドアは外れ、窓ガラスは割れてベニヤや少し厚手の雑誌の紙などで貼られていたが、強い北風が吹きつけてほとんど外にいるのと変わりない。破れたソファーの上にはポツンと老人が座り、床に寝かされたケガ人や病人の間を看護士らしい男女が行ったり来たりして忙しく働いている。それは、以前来た時よりも随分荒んでいるように見えた。
彼はそんな人々の間を抜け、半分壊れた奥の扉を開けて診療室にいたその医師に会った。

 「キャプテン」
頬のこけた白衣の中年男が言った。
「遅くなってすまなかった、ドク。いつもの薬だ」
「ありがとう。いつも助かるよ。もうほとんど薬のストックが尽きかけていたんだ」
医者は男から受け取った薬の袋を両手で抱えるとうれしそうに笑った。
「そんなに酷いのか?」
床のあちこちに寝かされている病人を見てルディオは言った。
「ああ……」
医者は力なく頷く。
「今年は、ほとんど夏が来なかったんだ。その上、例年になくブリザードが強くて農作物は全滅。中央からの定期便も滞って皆が栄養失調になり、宇宙病の蔓延と衛星の爆発事故などが重なって人口のほぼ半数が死んだ。残った者も元気な者は数少ない。凍てついた流刑の星に相応しい惨状だよ。中央は、本当に私達を、この星を見捨ててしまったのかもしれない……」
「……」
胸が詰まった。こうして話ている間にも病人の容態は刻一刻と悪くなって行く……。ドクが素早く処置して回る。が、命を落とす者はあとを絶たない。

「ドク……今度は食料を持って来ます」
「無理をするな。食料ならついこの間届けてもらった。わかっているよ。あの貨物船は君の差し金だろう?」
「ええ」
「子供達のあの笑顔……忘れられないよ。本当に、この星では見た事もないごちそうだったんだ。素晴らしいクリスマスだった……」
「でも、今はもうないのでしょう?」
「だが、君はもうここへは来ない方がいい」
ドクは厳しい顔になって言った。
「『ゴット』が君の存在に気づいてしまったんだ」
「『ゴット』が?」
「そうだ。流刑星に食料や薬、日用品などの物資を届けている人物の存在を知られてしまった。『ゴット』は、君を追い詰めるつもりだ。そして、いざとなったら、この星ごと破壊する気だ」
「破壊?」
「そう。連中としては厄介な者達を一挙に処分出切るし、名目も立つ。好都合なのさ」
「おれが守りますよ。この星を」

しかし、ドクは首を横に振った。
「やめてくれ。そんな事されたら逆に迷惑だ」
「迷惑?」
「今年は、確かに天候にも恵まれず、事故や災害が続いて大変だった。だが、それでも我々は細々と暮らして来たんだ。確かに、君からの援助には感謝しているし、実際、どれ程助かったかしれない。だが、あの『ゴット』に目をつけられてはおしまいだ。連中はここで罠を張り、君を待つだろう。そして、この星が戦場になる。いや、そうならなかったとしても、この星を破滅させる為のよい口実が出切る。君は守ると言うが、片時も離れずにいる訳には行かない。この星には宇宙船の燃料も武器工場もないのだから……。必要な食料や日用品さえ足りないんだ。いずれ、外に調達に行かなければならないだろう。それに、連中は惑星一つ破壊する武器だって所有している。こんな辺境の星一つ消し飛んだところで誰の迷惑にもならないだろう。むしろ、そうなってくれた方がよいと望む者までいるくらいだ。世間の人間は皆、シヴェールに住んでいるのは極悪の罪人ばかりだと信じ込まされているからね」

「でも……」
「だから、もうこの星に関わって欲しくないんだ。我々の為に……。そして、君自身の為にもね」
「ドク……」
それでは何の解決にもならない。彼がいなくても『ゴット』がその気なら、こんな星を潰すのは簡単だ。ドクの顔にも苦渋の色が滲んでいた。彼とて辛いのだ。だが、そう言うしかなかったのだ。
「わかりました」
それだけ言うと彼は診療所を出て行った。
「ルディオ……」
その後ろ姿を割れたガラス越しに見てドクは呟く。
「生き延びてくれ……。せめて、君だけは……」
この星を蝕んでいたのは死病だった。恐らく住人のほとんどは助からないだろう。ドク自身とて、いつ倒れるかもしれないのだ。辺境の忘れられた星、シヴェール……。2週に1度中央から物資を運んでやって来る定期便。その船も来なくなって3ヶ月……。閉ざされたこの星に唯一光をもたらしてくれた男。『キャプテン ミストラル』……。
「ありがとう……」
ドクは感謝を込めて、彼が持って来た薬を患者達の苦しみを和らげる為に使った。

 その診療所を出ると、彼は西へ向かった。寂れた街の家のドアはどれも固く閉ざされて、死人のような冷たさが街全体に沁み込んでいる。誰の気配もなく、行き交う靴音も聞こえない。ざらついた砂とこの街の陰湿な過去の風だけが吹き荒れている。荒んだ街にはエアカーもエアバイクもなかった。だから、彼はひたすら歩くしかなかったが、それでも彼の心は高揚していた。が、一歩、また一歩近づく度に空は暗くなって行く……。そして、建物も以前来た時とは大分印象が違って見えた。工場は閉鎖され、放置されたままの機械や崩れたままの外壁……。倒壊したままの家……。畑には緑も作物もなく、荒れた砂地がそのまま広がっている。
「これは一体……?」
彼はその場に立ち尽くしていた。そこには何もなかったのだ。何処までも続く砂丘……。吹き荒れる砂嵐の向こうを見ようといくら目を凝らしてももはやそこに何もなかったのである。子供達の声も、彼女の微笑みも、施設の建物さえも、みんな消えてしまっていた。

「一体何が……?」
そこは身寄りのない子供達の為の施設だった。リシェーヌはそこで働いていたのだ。そして、その子供達の為に、彼は薬や食料などを届けていた。
――また来てね
――今度はいつ来てくれる?
屈託のない子供達の笑顔。逆境に負けない強さ。そんな彼らが好きだった。なのに……。今はもう誰もいない。
――衛星の事故があって……
ドクの声が蘇った。
(まさか、その事と関係が……?)
心の中に不安が走った。が、すぐに思い直す。
(だったとしても、きっと何処かに移ったんだ)

ならば、ドクに確かめて来ればよかったと思い、そこを立ち去ろうとした時だった。
「……ああ、やっと会えた……」
風の中から声がした。それは、か細い子供の声だった。
「ん?」
彼は足を止め、僅かに振り向く。と、砂漠の中に立つ蜃気楼のように小さな影が揺らめいた。

「ああ、待っていたよ……。ぼく、あなたと巡り会えるのを、ずっと待っていたんだ」
と言って子供はフラフラと近づいて来る。目は窪み、手足は痩せて、今にも風の強さに折れてしまいそうだった。
「おまえは誰だ?」
男が訊いた。
「ぼくだよ。ねえ、忘れちゃったの?」
子供は微かに笑い掛けて言った。
「知らんな」
素っ気ない答えに子供は呆然とした表情で彼を見上げた。
「嘘でしょう? ぼくのこと覚えていないなんて……ほら、ぼく達は昔、あの地球の何処かで……」
言いかける子供を無視して男は言った。
「知らないな。おれは、おまえに会った事はない」
と言ってまた踵を返す。

「あ! 待って! 行かないで……ルディオ!」
その言葉に反応して男は足を止めた。
「何故、その名を知ってる?」
ルディオ クラウディス。それは、限られた者しか知らない筈の彼の本名だった。
「知ってるよ。ねえ、リシェーヌのこと教えてあげようか?」
「リシェーヌだって? おまえもここの施設にいたのか?」
以前来た時にはいなかった。だが、あれからかなりの時が経っている。知らない子供がいても不思議ではなかった。
「そうだよ。リシェーヌは本当にいい人だった。ぼくにも、他の子供達にもとてもやさしくしてくれて……」
途切れそうな声だった。吹きつける風は強過ぎて少年は立っているのさえ危なく見えた。そして、砂が子供の輪郭を消して行く……。

「それで、彼女は今何処に? 子供達と施設は何処へ移ったんだ?」
「……」
子供は何も応えなかった。じっと彼を見つめるだけで……。その一瞬の間に子供はじっと目を瞑り、何かを感じているようだった。僅かに微笑みかけた唇。けれど、それはすぐに消えて無表情となり、頬が痙攣したように震えた。それから、ピクンと指先が動くと軽く頭を振って目を伏せた。
「……死んだよ」
やがて消え入りそうにそう言う少年の瞳は悲しみに震えているのに涙は浮かんでいなかった。

「どういう事だ?」
「事故が起きたんだ……」
「例の衛星の事故って奴か?」
「そう……。でも、本当はそうじゃない。真実を知りたい?」
「おまえは知っているのか?」
少年が頷く。
「教えてあげるよ。ぼくを連れて行ってくれるなら……」
「連れて行く? 何処へ?」
怪訝そうな男に少年は薄く微笑んで言った。
「もちろん、あなたの船にだよ。キャプテン ミストラル」
「断る」
男はキッパリと言った。
「何故?」
「おれは子供が嫌いなんだ」
「それじゃあ、何でわざわざこんな辺境の星まで子供達の為に物資を届けに来てくれるの? リシェーヌの為?」
「そうだ」
子供は、じっとそんな男の顔を見つめ、それからフーッと小さくため息をついて言った。
「不器用だね」
それから、遠い砂嵐の向こうを見た……。

「もういい! おまえの戯言は聞きたくない」
そう言うと彼はさっさと歩き始めた。
「ねえ、待ってよ。その先の情報を聞きたくないの?」
「必要ない。そんな事は調べればすぐにわかる」
「待って……」
子供は慌てて彼を追おうと駆け出そうとして、前に出たが、身体が付いて来なかった。もうそこに立っている事さえ限界だったのだ。子供は意識を失った。風の中に微かに響いたその音に男が振り向く。
「おい……」
しかし、子供は倒れたきりビクとも動かない。

――ルディオ……
誰かがまた彼の名を呼んだ。
――ぼく、ずっとあなたを待っていたんだ
男は静かに戻るとそっとその身体に触れた。が、揺すっても反応はない。
(何を知ってる?)
少年の意味有り気な強気な目が気になった。
(リシェーヌが死んだ……。そして、あの子供達も……?)
俄かには信じられない事ではあったが、この街の荒れ方はただ事ではない。彼はそっと砂の中から子供を抱き上げた。その体からザラザラと砂が落ちて行く……。

――ぼくを連れて行ってくれたら……
(何が望みだ?)
――連れて行って……
男は黙って歩き始めた。
――わたし、ずっと待っていたのよ
砂の中で彼女の声が聞こえたような気がした。
が、それは何処までも遠い空耳でしかなかった……。

 「水…を……」
子供の唇が微かに動いてそう言った。男はそっと水差しでその唇を湿らせてやった。子供はふと安堵したように微笑を浮かべた。初め、子供の体は氷のように冷たかったが、今は火のように熱い。
「何を知っていると言うんだ?」
男はベッドの上の少年を見下ろして言った。
「そして、この星で何が起ころうとしている?」
ターミナルホテルの彼の部屋だった。あれから2時間経っていた。1時間前にここに着き、30分前に熱冷ましと抗生物質を与えた。だが、少年の意識は戻らない。その間に、彼は端末でこの星の状況を調べた。……子供が言っていたことは真実だった。リシェーヌは死んでいた。原子炉を積んだ衛星の破片が施設の上に落ちたのだ。

「リシェーヌ……」
永遠の微笑みを浮かべた少女の面影を抱いたまま、彼は昔、二人で見た虹を思い出していた。
――ルディオ。ルディオ……。愛しているわ
花園を愛する透明な少女……。
――待っているわ……
――ぼく、ずっとあなたの事を待っていたんだ
いつの間にか少女の声はベッドで眠る少年のものに変わる。男はハッとしてスクリーンに映し出されている情報を見た。結局、その時施設の中にいた23人全員が犠牲になった。他に庭で遊んでいた3人と周辺の住民27人が1週間以内に亡くなっている。なら、この子供は何処にいたのか? 他に助かった者がいたのか? それは少年が目を覚ましてから訊いてみるしかない。どちらにせよ、事故としては最悪のものだった。しかし、本当にそれは事故だったのだろうか? 男は疑問を抱いた。バックに見えない糸が絡んでいる。そんな気がした。

「『ゴット』か……」
男が呟く。憎しみの炎が漆黒のマグマとなって瞳の奥で燃える。
(もしもそうなら、許さない……!)
「グライスゴット……! 奴なのか?」
「……そうだよ」
突然、背後で声がした。いつの間にか子供が目を覚ましていたのだ。彼は半身をベッドの上に起こし、じっとこちらを注視している。
「何を知ってる?」
「全部」
「言ってみろ」
男が促すと、子供は頷いて話し始めた。
「『ゴット』はあなたへのいやがらせの為に施設を破壊し、リシェーヌを殺した」
「全てはおれの責任という訳か」
「あなたのせいじゃないよ。けど、『ゴット』は流刑星であるこの星にあなたが物資を届けている事が目障りなんだ。しかも、その物資ときたらみんな、『ゴット』から奪った物と来ている。彼らからしたら許しがたい裏切り者という訳だ。そして、ここには、あなたの恋人がいた」
「フッ。おまえ、見て来た風な事を言うじゃないか」
男が苦笑すると子供は笑って言った。

「見て来たんだよ。本当に……。僕はトリップ……時間を遡ることが出来るんだ」

「トリップ? そんな事が出来るなら、運命さえも変える事が出来るじゃないか」
「ううん。だめだよ。ぼくは未来には行けない。そして、過去に起きてしまった史実を変える事も出来ない。だけど見る事だけは出来るんだよ」
「そんな力が……」
「本当だよ。ねえ、信じる? ぼくの力を」
「そうだな」
男は頷いた。
「よかった。それじゃあ、連れて行ってくれるよね? ぼくの力は結構便利に使えるんだよ」
と笑う子供の顔は本当に幼い。

「年は幾つだ?」
「13だよ」
「ふざけるな! どう見ても10かそこらだろう?」
「本当だよ」
と子供は主張したが、怒ったままの男の顔を見つめると、諦めたように言った。
「12……。本当はまだ12なんだ。でも、あとたった3ヶ月で13になるよ」
と強く言った。
「無理だな」
男ははっきり断言する。
「どちらにしても子供は子供だ。船に乗せる訳には行かない」
「そんな……! お願いだよ。行く所がないんだ」
「関係ない」
「お願い……」

子供は何度も頭を下げた。が、男は承知しなかった。今にも泣き出しそうなその顔を見ても男は心を動かされたりしなかった。子供はガックリと肩を落とした。それから、しばらくの間沈黙が続いた。と、その時。カツカツと通路を歩いて来る靴音が響いた。思わずハッと顔を上げる子供。男は既に銃を構えてドアの前に立っている。そしてそっと子供を手招くと自分の後ろに立たせた。
「名前は?」
男は神経をドアの向こうに集中させたまま問う。
「ジューン」
子供が声を潜めて応える。
「よし。ジューン。強行突破するぞ。死にたくないなら、おれの後ろにピッタリと付いて来るんだ。いいな?」
「わかった」
ジューンは頷くと、腰だめにした彼の後ろに張り付いた。

「連邦治安特捜部L2540B16惑星シヴェール担当のゴードンだ。ルディオ クラウディス。貴様を海賊行為並びに文書偽造、不法侵入、反逆、略奪、器物損壊、殺人等合わせて16の容疑で逮捕する」
ドアの向こうで待機していたのはゴードン以下8人の精鋭だった。とても逮捕するなどという穏やかな状況ではなく、彼らはそれぞれに武器を構え、有無を言わさず、いきなり攻撃を仕掛けて来た。が、彼は初めから予期していたように、開けると同時に銃を乱射すると一気に蹴散らして斜め向かいの非常階段のドアを蹴破って飛び込んだ。そして、階下へ続く階段を一足飛びに駆け下りて踊り場の向こうに身を隠す。ジューンは必死に走って彼を追ったが相手の撃って来たレーザーが何度も顔や体をかすめて行った。が、それらの攻撃の狙いを外させたのは全て男の性格な射撃のおかげだったのだと少年はあとになって知った。その時の彼には付いて行くのが精一杯で、とてもそんな事を見極める余裕などなかったのだ。

「伏せろ!」
男が言うとジューンはすかさず身を低くした。と、同時に再び乱射。それはエコーがかかって凄まじい音となって響いた。ジューンはウッと耳を塞いだが、男が合図したので更に階下へと駆けて2階の踊り場まで来た。男は上に向けて銃を撃ち、追いついて来た人間二人と格闘になった。相手が打ち込んで来た拳を防ぎ、すかさずその兵士の顎にアッパーを叩き込む。脇から繰り出して来た警防を、今度は蹴りで弾き飛ばし、頭上からレーザーを構えて狙い撃ちしようとしていたそいつの腕に命中させた。さらに掴みかかって来た兵士の体に肩口から突っ込み、バランスを崩したその巨漢の背中に肘鉄を食らわす。
「ぐぇっ!」
そいつは無様に突んのめって階段を落ち、踊り場に伸びた。ジューンのすぐ近くだった。

少年は怯えたように男を見、壁にしがみついた。が、その男は完全に意識を失っていた。が、ホッとする間もなく、事態は最悪の状態になっていた。階下でひしめき合う人間の声……。1階のドアの向こうに人が集まっているのだ。
「ルディオ!」
緊迫した声で少年は呼んだ。
「その名で呼ぶな!」
と男は叫んだ。が、その彼も、今は全く気が抜けない状態にあった。上からの攻撃が激しくなった。壁の向こうから構わずレーザーやライフルを撃って来るのだ。壁の一部が崩れ出していた。さらに上から椅子や鉄パイプなどを容赦なく投げ落として来る。

「チッ! なり振り構わずだな」
男は呆れたが、狭い階段での事だ。とても素手では防ぎ切れない。ふと見ると踊り場に旧式の消火器を見つけた。狭い踊り場にはさっきの男がうつ伏せに倒れたままそこを塞いでいたが、男は構わず階段の上から飛び降りると、消火器を持ってプシュッと安全装置を外す。そして、上から殺到して来た連中に向けて一気に噴射する。白い粉の消化剤が階段中に満ちて男達は咽た。が、それを使い切ってしまうと、さらに上で待機していた無傷の連中が撃って来た。階下へ行こうと振り向くと泣きそうな顔をしたジューンがいた。階下のドアが開いて武装した男達が上がって来るのが見える。そして、レーザーが二人の間に交錯する。
「挟み撃ちか」

「もう逃げられはしない。観念しろ」
階上からゴードンの声が響く。
「そいつはどうかな?」
男が笑う。
「何?」
一瞬の攻防。男が放った光の砲弾が階上で炸裂した。
「うわあっ!」
爆発的な光に呑み込まれて人々は吹き飛ばされ、壁や階段の途中に叩きつけられた。階下も同じだ。中間の壁が壊れてボロボロと落ちて来る。ジューンは何気なく上を見た。すると、その2階層上の辺りに開いた穴から、キラリと光る銃口が覗いている事に気がついた。

「キャプテン!」
ジューンが叫ぶ。男がそこへ向かって銃を撃ち、弾き飛ばした。が、次の瞬間。少年を狙って撃った銃弾が男の視界に飛び込んだ。避けようがなかった。続いて投げられた手榴弾が追い討ちを掛けるように爆発する。
「やったか?」
ゴードンが言った。が、硝煙が収まったその踊り場に二人の姿は何処にもなかった。あるのは部下の死体と瓦礫の山……。亀裂の入った天井や壁からピシピシといやな音が響いている。バラバラと落ちて来る粉塵とコンクリートの欠片……。シヴェールの象徴ともいうべきターミナルホテルはそれから間もなく崩壊した。